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就寝時刻。わたしは目をつむって静かに息をしつつ、
夕方にぐっすりと眠っていたために眠れないというフィームと、
同じ毛布の中で背中を合わせてお話ししていた。こうして
お互いの顔を見ないで背中越しに話していると、落ち着いた脈と体温ばかり
感じてしまって、よけいにすぐ近くでくっついている感じがする。
彼女のどきどきを感じて、わたしもどきどきしてくる。
わたしは柔らかに言った。
「フィーム、どきどきしてる」
フィームは恥ずかしそうに答えた。
「なにを言ってるんだ」
「だって隣で寝ていたら、そういうのがどうしても伝わってきちゃうもの」
「そういうのはもっと特別な人に対して言ってやれ」
でも、わたしの胸中にははっきりとした暗闇がずうっと浮かんでいた。
今、こうして話している彼女は、来週には故郷に帰ってしまうのだ。
それを知ってしまえば、今のこの会話も、幸せばかりを感じるわけには
いかなかった。すぐにでもこの時間は思い出となって、いずれ記憶の流れで
水彩絵の具みたいに薄れ、記憶の底に沈みきって、別れの悲しみすらも
忘れてしまうことだろう。ちょうど、かつてのお母さんと同じように。
それが怖くてたまらなかった。
わたしは手を後ろにまわして、彼女の腰の辺りを撫でた。
フィームはびっくりして腰を離して抗議してきた。
「変なことするなら離れるぞ」
「あなたも、手をこちらにまわして」
フィームはわたしからすこし離れて、身体をひねり、あおむけになって
わたしの手を握ってくれた。わたしも彼女に背中を向けたままでは
その姿勢がキツくて、あおむけになって同じようにした。
わたしは彼女に、さりげに言った。
「寂しい」
フィームは焦ってたずねてきた。
「ベルス、今夜はなにかおかしいぞ」
わたしは悩んでいた。フィームがわたしに、帰国するってことを隠していたのは、
きっとわたしを気遣っていてくれたのだと思う。だったら、わたしも
まだ聞いていないフリをすべきなのではないだろうか。
でも、わたしとしては、せめて帰国のスケジュールくらい聞いておきたいし、
できれば、どうして帰るのかとか知りたいし、あわよくば、
その予定は中止できないかとか言いたい。どうしてわたしに今までそれを
隠していたのかを、フィームの口から聞きたいし、もしそれ以外にも
隠していることがあるなら、問いただしたい。
わたしは、とにかく、あとすこしの限られた彼女と過ごせる時間を、
せめて精一杯楽しみたかった。
わたしは言った。
「今日はね、中央街道をずうっと歩いて昨日買った山菜を売り歩いていたんだ」
フィームは申し訳なさそうに答えた。
「そういえば、それはわたしの仕事だったっけな」
「ううん。気にしてないよ、そんなの」
「悪い。今日はいろいろあって」
「むしろ、そのおかげでわたしは、ああいうお仕事をはじめて
任されたんだから、感謝しているくらいだよ」
「なら、よかった」
わたしは続けた。
「でね、途中、意地悪な女の人といろいろあってケンカしちゃって……
それで、飛ばざるを得なくなってね」
「ふうん」
「それからさ、昨日はノウグリスって人と会って、自動車に乗せてもらったり」
「そういえば、自動車と言えば、わたしも昨日、走っているのを見たよ。
真っ白で速くて……カッコよかった」
「実は、それがわたしが乗せてもらったのだよ」
「ほんとに? 偶然だなあ」
「わたし、助手席からフィームのこと見つけたんだ」
「そうなんだ」
「そういえば、あのとき、フィーム、誰かといっしょにいたよね」
「うん」
「誰?」
「お父さん」
彼女はどんよりと重く言った。
「わたしは、ほんとうは14月末にはすくなくともお父さんに連絡しろって
言われてたんだ。わたしがそれをしないものだから、
かれがこっちまではるばる来ちゃって、さ」
なるほど。フィームは、お父さんの命令で故郷へ帰らなくちゃいけなかったんだ。
わたしはたずねた。
「どうして、連絡しなかったの?」
フィームは黙ってしばらく悩んでいた。わたしはしばし待った。
それから彼女は、ため息まじりにこう言った。
「今まで隠してたけど、わたし、実はもう故郷に帰らなくちゃいけないんだ。
でも、帰りたくなくて……。でも、そんなわがままを
お父さんが許してくれるはずがない」
わたしはちょっとびっくりした。彼女は今まで隠していたはずなのに、今、
こんなにあっさり打ち明けられたのだ。わたしはその事実でためらいなく
たずねられた。
「どうして、今まで隠してたの?」
フィームは恥ずかしそうにそっぽを向いて言った。
「だって、打ち明けたら、ベルスは絶対止めるだろ」
「うん」
「そんなことされたら、まだ帰りたくないって気持ちが強くなって、
踏ん切りがつかなくなる」
わたしはそう聞いて嬉しかった。彼女はわたしとの別れを惜しんで
くれているのだ。
わたしはもうすこし聞きたくなった。
「いつ頃帰るつもり? あと、どれくらいいっしょにいられるの?」
フィームはぼそぼそと言いにくそうに答えた。
「1月1日にお父さんとここを発たなきゃならない」
「14月は25日までだから、あす、あさって、しあさっての3日しか
フィームとは過ごせないのかあ」
フィームはうつむいて答えた。
「うん」
わたしは思い切ってたずねた。
「もしも、の話だけどさ、まだここに残るってわけにはいかないの? どうしても
帰らなきゃだめなのかな」
フィームは握っていた手を離して、またわたしに背中を向けたまま
答えてくれなかった。わずかな沈黙ののち、わたしは深呼吸してたずねた。
「どうして答えてくれないの?」
フィームは怒鳴った。
「そういうことを聞くからだ」
わたしはショックを受けて、押し黙ってしまった。
わたしは、なんだか話しかけにくくて、身体をひねってフィームに背を向け、
真っ暗な闇の中、ほとんど針が見えない懐中時計を撫でて心を落ち着けながら
眠りに就こうとした。でも、眠れるわけがなかった。それはフィームも同じようで、
眠っているにしては不自然に硬直し、ずうっと同じ体勢で横になっていた。
しばしの間、チクタクチクタクと時計の針の音だけが
わたしたちの空間を支配していた。お互いに話しかけにくい空気が続いている中、
アルとドーリアスの寝息や、衣擦ればかりが聞こえていた。
それから、フィームが耐えきれなくなったのか、深呼吸して話しかけてきた。
「そういうこと聞かれると、ほんと、帰れなくなるから」
わたしはなんて答えなければわからなくて、沈黙を守っていた。
フィームは叫んだ。
「わたしだって帰りたくて帰るわけじゃないんだ。ほんとはまだ
みんなといっしょにいたいさ。でも、お父さんにそうしろと言われたら、
聞かないといけないんだ。お父さんに、逆らってはいけない」
わたしはいらっとして、声をうわずらせて叫んだ。
「どうしてお父さんの言うことを聞くの? あなたには自分の意志がないの?」
「意思はあるさ。でも、わたしにとっては、お父さんは絶対なんだ」
わたしはさらにカチンときた。あなたは、なにを考えているんだ。
お父さんが絶対なんてまじめに言うなんて、どうかしてる。
フィームは申し訳なさそうに言った。
「ベルスには悪いけど、これは変えられない予定なんだ」
わたしはいらいらしながら言った。
「でも、それは運命じゃない」
フィームは黙っていた。
「あなたは、その予定を変える努力をしたわけ?」
フィームは静かに答えた。
「それでケンカになった。お父さんと」
わたしはいらいらしつつも、冷静に聞いていた。
「帰りたくないと言った。でも許されなかった。一晩中説教されて……」
わたしは、もうこれ以上、なにも言う資格がない気がした。
だって彼女は精一杯わたしのためにしてくれているみたいだし、
それでダメだったってのは仕方ないことだ。
フィームは続けた。
「いろいろあって、お父さんは許してくれたみたいだったけど」
彼女は、だんだん小さく弱々しい口調で話し、やがて涙声になっていた。
それから彼女は小さく丸まって泣き出してしまった。
「うう。だめだ。思い出してきた、寝るね」
わたしは身体をひねってフィームのほうを向いて、その背中を優しく撫でつつ
言った。
「どうして泣いてるの?」
フィームはむせび泣きつつ答えた。
「怖かった」
彼女は嗚咽を漏らし、続けた。
「どうしていいかわからない。わたしは」
わたしは彼女の背中を撫でつつ言った。
「とにかく、なにか悩んでいるなら相談してね」
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